爽は幸せな少女だった。

物心ついた時には両親が居らず、親戚という人の家で幼い兄弟の面倒を見ながら日々を過ごしている爽は貧しく質素で綻びを何度も繕った衣服しか着た事が無く、満足な食事もした事は無かったがそれでも幸せだった。
親も居ないのに生きていて可愛い兄弟が沢山いて、質素でも清潔に出来る環境があって満足では無くとも毎日食べる事が出来るのだから爽にとっては十二分であったのだ。

その日、爽は日課である野草摘みの為に東の方へと向かっていた。東の方はあまり良い土地では無かったのだがそこでしか取れない物があったのだ。
爽が摘もうとしていたのはまさにその植物で、あまり良い土地では無いからこそ人気が無く、結果的に無傷の植物を沢山摘む事が出来た爽はとても嬉しく思った。そしてやはり自分は幸せだと思った。
夢中になって野草を摘む内に爽は気付けば滅多に来ない東の大樹迄やって来ていた。
東の大樹は人気の無さもあってか「人殺しの木」と呼ばれており、普段なら爽の様な子供が近付く事等有り得ない。恐れを抱き慌ててその場を離れようとした時、爽は一人の少年を見つけたのだった。


少年はくすんだ色の服を着てくすんだ色の靴を履き、くすんだ目をしていた。爽の住む所では一度として見た事が無い少年に爽は興味を持った。

「やぁ、貴方は誰?」
「君こそ誰だい。僕は今までに君の様な子を見た事が無いよ」
「それは当然よ、私だって貴方みたいな子を見た事が無いんだから」
「それもそうだ」

少年は雨都という名前で、東の大樹の更に東からやって来たのだと言った。東の方が良い土地で無い事は誰もが知っている事であったから、爽等は無人の地だと思っていた位である。その様な所からやって来た少年に爽は当然の如く興味を持ち、色々と話しかけた。

「何故貴方はこんな所に来たの?」
「君こそ何でさ」
「私は草を摘みに来たのよ。弟が病気にかかったから」
「僕は人殺しの木に会いに来た」
「何故?」
「何もかもが嫌だからだよ」

ある日突然悪魔が現れて、全ての物を失ったのだと雨都は言う。
悪魔に全てを奪われた雨都は何一つ良い物を見つける事が出来ずに生きて来て、結局失望する事しか出来なかったのだと言う。
人形の様な父と母が建てた巨大な家には様々な他人が住み込んでいて一時すら心を許す事は出来ず、表面ばかりが美しい体中を締め上げる役目を持った洋服を纏って、山の様に積まれた砂の味がする料理を食べさせられる日々は雨都にとってただの地獄であった。

「ああ、死ね死ね。全て死んでしまうが良いさ。この世には何も無い、美しい物等一つとして存在しないんだ」
「貴方はとても可哀想ね。私には両親もお金も綺麗な服も無いけれど、他の良い物が沢山あるから世界を殺す気に何てなりそうもない」
「何て事だろう、僕には色々な物がある筈だのに、君の言う『他の良い物』が無いせいで全てが台無しになっているんだ。いっそ君が分けてくれれば良いのに」
「言われなくたって、分けてあげたい位よ」

けれども東と西に分かれた二人の幸せと不幸せを混ぜる事等出来る筈も無く、爽には雨都の話を聞いてやる事しか出来ない。
それは雨都に言わせてしまえばどうしようも無く虚しい事実であったのだが、まるで生と死の境界線の様な東の大樹の下では少しばかり色が違っていた様だった。

「そろそろ帰らなくちゃ」
「もう帰るのかい?」
「家は遠いし、弟が病気だって言ったでしょ」
「ああそうか。じゃあ僕も帰ろうか」
「帰れるの?」
「此処に居たって家に帰ったって世界が光り輝くでも無い」
「それはそうね」
「それに何もかもが嫌な事に変わりは無いけれども、話を聞いてもらっただけマシになったさ」
「それは良かった」

爽は一杯に野草が入った袋の中から包みを引っ張り出すと乾いて固くなったパンの一切れを雨都に手渡した。

「これは粗末に見えても私の大事な大事なお昼ご飯なのだけれど、可哀想な君にあげる」
「ありがとう………また会えるかい」
「もしかしたらね」


固いパンを毟る様に食い千切り口の中で転がすとほんのり甘味が沁み出した。

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