昔々、ある所に小さな小さなお屋敷がありました。
といっても今であるからこそ、それはお屋敷と呼ばれるようなものであって、その時は単なる少し大きな家だと思われていました。
その家は変わったお家で殆どが真っ白な漆喰の壁で覆われていて、後は金魚がする息継ぎ位の感覚で窓がぽつぽつと空くばかりでした。そんな家はその時だって探しても中々あるものではありません。
そんなおかしな家の中で、一際真っ白な部屋の中に九朗さんと言う女の子が住んでいました。九朗さんは名前に似たのか何なのか、いつでも真っ黒な着物を着ていました。髪の毛迄真っ黒なものですから九朗さんはお家の中で良く目立っていました。
真っ黒な九朗さんの部屋の隣には、家の中で唯一黒い部屋がありまして、そこには四朗さんと言う男の子が住んでいました。四朗さんは九朗さんと違っていつでも真っ白な着物を着ていました。
いつだか、四朗さんは九朗さんに「真っ白な家の中でそんな真っ白い格好をしていたら消えてしまうだろう」と黒い服を貰っていたのですが、臆病な四朗さんは「蝙蝠が来るよ」と泣いて嫌がったので、四朗さんの部屋は九朗さんによって黒いカーテンが掛けられ、家でたった一つの真っ黒い部屋となったのでした。

九朗さんと四朗さんにはお父さんもお母さんも居りません。
二人の住む国では大きな戦が起きていて、早くに死んでしまっていたのです。なので年上の九朗さんは四朗さんの為にいつも一生懸命働いていました。



ある日の事です。
お仕事をする九朗さんの為に四朗さんがご飯を作っていると、真っ白な扉を開けて九朗さんが帰って来ました。
「おかえりなさい、九朗さん」
「ただいま、四朗さん」
「今日はお魚を譲って戴いたので、塩焼きにしてみたよ。一緒に食べよう」
「ああ、そうしよう」
その日の九朗さんは何だか元気がありませんでした。
いつも以上に静かな夕食です。四朗さんはお仕事で疲れているのかな、それとも魚が嫌いだったかしら…と不思議に思いながらお味噌汁を啜っていましたが、その内に九朗さんが口を開きました。

「四朗さん、私達はもう一緒には居られないんだ」
「え」
突然の事に四朗さんはぽかんとしてしまいました。けれども九朗さんの真剣な顔を見ているうちに、それがとても大事なお話であるのだと理解しました。
「九朗さん、何で?どうしてそんな事を言うの?」
四朗さんの眼には見る見るうちに涙が溜まっていきます。九朗さんは黒い服のせいで白く見える顔をいつも以上に真っ白くして握りしめていた箸を置きました。
「私達は別々の人間なのだから、いつかは別れなくてはいけないんだ。その日が来てしまっただけの事だよ」
「何で、何で?嫌だよ、九朗さん、そんな事言わないでよ」
「分かっておくれよ、四朗さん。別々の人間だって或いは零と一程に近ければ、一緒に居られたのかも知れない。でも私達は四と九だ。五つも遠い所にあるのにこれまで一緒に居られた事が幸せだったんだ」
「嫌だ、嫌だ。九朗さん」
「私は戦へ行くよ」
四朗さんは泣いて首を振っていましたが、九朗さんはスッと椅子から立ち上がり、そのまま何処かへ行ってしまいました。
「行っちゃ嫌だよう、九朗さん」
四朗さんはその時になって、初めて九朗さんに徴兵の命が届いて居た事を知りました。
『女は男より数が少ない。だから男の数に対して足りない数分一生懸命働きなさい』と言う理屈に合っているのか良く分からない御触れのせいで、九朗さんは四朗さんの元を去ったのです。一方の四朗さんは、この様な泣き虫で体力も無かったからでしょうか、いつになっても戦に行く事がありませんでした。

戦に出た九朗さんは、本当は悲しくて仕方がありませんでした。
四朗さんを置いて行く事になってしまったのもそうでしたが、元々戦と言う物が好きではありませんでした。お父さんとお母さんを奪っていった戦等誰が好きになれたでしょう。けれども九朗さんは真面目な人でしたので、一生懸命お役目を勤めようと頑張りました。
真っ黒な格好で武器を振るう若い娘の姿は鬼気迫ったものがあり、いつしか九朗さんは敵味方問わず鬼女と指を差されるようになったのでした。



そうして五年もの日が流れました。
九朗さんはすっかり大きくなり、一人の立派な女性となっていました。黒い格好をしているのは相変わらずでしたが真っ直ぐな性格をそのまま表した瞳は黒炭の割れ目よりも艶やかでした。けれども九朗さんはいつかの戦いで腕を一本無くしてしまっており、鬼女の渾名もそのままでしたから誰かと仲良くなるという事が無く、いつも一人ぼっちでした。
ですから戦が終わったと知った時にはとても嬉しかったのです。それはもう、いつも真面目で一生懸命な為に殆ど変わる事の無いお面の様な顔に笑顔が浮かぶ程で、九朗さんは何者よりも先にその場所を去り、置いてきてしまった四朗さんの事を想いました。
四朗さんは一体どのようにして暮らして居たでしょう。きちんとご飯を食べて居たでしょうか、それとも部屋から出る事すら出来ずに泣いていたでしょうか。どちらにしても寂しがりな少年でしたから恐ろしい思いをした事でしょう。元気にしていれば何よりですが、戦続きの五年でしたから運が悪ければ怪我の一つや二つ、もっと悪ければ死んでしまっているかも知れません。
九朗さんは何だか不安になって、屋敷に向かう足を精一杯に速めました。家は遠く三日三晩休み無しで走ったとしても到底着く所にはありません。それでも九朗さんは一生懸命に走って、五日目の夜には見覚えのある懐かしい景色へと入っていました。

そして漸く自分の家に到着した時、九朗さんはそのあまりの変化に愕然としてしまったのでした。

真っ白な漆喰で出来た壁は煤と草の汁と、後は何やら良くも分からぬ色に汚されていました。ぽつぽつと空いていた筈の窓は外れていたり、壁すら壊れて窓と窓とが一繋がりになっていたりで、とても人の住んでいる所には思えませんでした。
まさかこんな所に四朗さんは住んで居るだろうか…いやしまい、四朗さんはきっと何処かへ行ってしまったのだ。そう思おうとしても人見知りの四朗さんが誰かを頼って暮らしている姿等九朗さんには到底想像が出来ません。
「嗚呼、やはり死んでしまったのか…」
九朗さんは顔を真っ白にしてふらふらと屋敷の中に入って行きました。
屋敷の中はまた酷く床を突き破って草も生える有様で、九朗さんの胸は張り裂けんばかりでした。
微か記憶に覚えるお父さんお母さんが四朗さんと九朗さんを抱きしめてくれた事。四朗さんと二人きりで過ごした日々。働く九朗さんを健気に思ったお爺さんが此処迄送ってくれた事もありました。大雨で九朗さんがどうしても帰れない時、四朗さんに食べ物のお裾分けを持ってきてくれた人も居りました。全てがこの家であった事でした。一見奇妙に思われる屋敷であったとしても、此処は九朗さんにとって大事な家でした。そして四朗さんにとっても大事な家である筈でした。
「四朗さん、四朗さん」
九朗さんは草を踏み潰して廊下を歩み歪んだ戸の一つ一つを開いては四朗さんの名前を呼び回りました。既に彼の人の心の中では死を想っていても呼ばずには居られなかったのです。


屋敷の中を歩き回って、見ていない所はたったの一部屋になってしまいました。そこは嘗て、四朗さんの部屋だった場所でした。九朗さんは四朗さんの事を探す内にとうとう諦めてしまって、四朗さんの思い出が詰まった部屋には行くまいと、知らず知らず避けていたのです。それでも此処まで来たら、四朗さんの部屋も見ない訳にはいきません。
九朗さん黒炭の様な瞳の浮かぶ目の縁を赤くしながら、それでも思い切りに扉を開きました。

部屋の中からは水っぽい空気が溢れてきました。まるで霧の中に居る時の様でした。
何処となく白んだ視界に気を取られているとやがて九朗さんの掛けたカーテンが埃一つ無い黒さで目に飛び込み、その下の方に真っ白な塊が見えて来たのです。
「…四朗さん?」
九朗さんは見覚えのある塊に囁き声を漏らしました。
すると塊の様に見えた物はもぞもぞと動き出し、その顔を現したのです。
「……九朗さん?」
九朗さんに負けず、小さな小さな声でした。丸い後ろ頭に臆病な顔立ち、何から何までもが嘗てのままの四朗さんが其処に居ました。
「嗚呼、何と言う事だろう。四朗さん、貴方は四朗さんだね?幽霊にしてはあんまりにも立派じゃ無いか。きっと悲しさの余り寂しさの余り、何にも出来なくて年を取る事も出来なかったに違いない。可哀想な四朗さん」
「やっぱり、貴女は九朗さんなの?声ばかり変わらなかったから分かったけれども、姿はすっかり違っているじゃない。腕も一本きりしかないじゃあ無いか。何て可哀想な事だろう。所で、今は何時だろう?僕は九朗さんが酷い事を言って居なくなってしまったから悲しくって悲しくって、ずうっと泣いていたのだけれど、九朗さんたらこんなに大きくなって、そんなに長い時間僕は泣いていたのかしら?」
「大丈夫だよ四朗さん、何たったの五年しか経っていないさ。五年なんて朝日が消えて昇ってくる程の間の事だ。それより、もう戦は終わったよ。だから帰って来たんだよ。もう何処にも行かなくって良いんだ。また一緒に居よう、楽しく暮らそう」
「本当なの、九朗さん。五つも遠い所の僕達がまた一緒に居られるの?嗚呼、それが本当なら何て素晴らしい事だろう。九朗さんは腕が一本無くなってしまったけれど、そんなの詰らない事でしか無いよ」
「私達の五つ分は五つの年月で払ってしまったんだよ。それより四朗さん、私は腕が一本無くなってしまったんだから四朗さんは今までみたいに泣き虫じゃあいけないよ」
「そうだね、九朗さん。僕は九朗さんの腕の分まで頑張るよ。だって二人で居られるんだもの」
四朗さんと九朗さんはしっかりと手を握り合って笑いました。

それからと言うもの、死んだようになっていた変わったお屋敷には少しずつ人の気配が見え始め、時々白い着物と黒い着物の人が働いている所も見られるようになりました。
何処かの噂になっていた鬼女の話は聞かれなくなり、時を止めてしまった少年も少しずつ大きくなっていきました。

たまたま宿を求めて村に立ち寄った旅人が、少し変わった二人の話を聞き、物語にして余所の彼方此方で話して回ったそうです。

おしまい。

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