その日の始まりが最悪なものだった事は肯定せざるを得ない。

先ず目覚めた瞬間、自分の置かれた状況も環境も理解が出来なかった。
次に全身のだるさに気付いて、最後に目覚めてしまった事を心の底から後悔した。

二日酔いだ。


つまり昨日酒を飲んでいた。
そこまで把握するとどういう流れでこうなったのかを何となく察する事が出来るようになる。
確か、昨日は同窓会だった。
そこで昔の知り合い達に出会ったのだ。




同窓会なんて言っても本当に懐かしいか、顔を合わせたくて仕方がないかと言われると非常に難しい。
人間生まれてからの時間が短ければ短い程愚かで純粋なものだ。

恋人にしたかった人。からかわれて淡い憧れを握りつぶした自分。
実際に告白して振られた人。恥をかいた自分。
友達だった奴。何故そんなに仲良かったのか今更考えて首を捻る自分。
友達だったのに喧嘩別れをした奴。今どうしているのか知りたいようで知りたくない自分。
途中で引っ越したか何かで消息不明になった者。後々聞いた噂が本当なのか聞いてみたい自分。
頭が良くてクラスの中心だった者から爪弾きにされてた人間と、小さな集団を率いているだけだと内心馬鹿にしていた自分に集団に溶け込めない事を軽蔑していた自分。

そんな感情が入り混じって、どちらを選択するにも躊躇が生まれてしまう。
そうなってしまえばもう子供の思い出なんて棚上げにしてしまって、大人の打算が代わりに姿を表すのだ。

今の自分が誇れるかどうかと、その場所に行ってビジネスチャンスが発生しそうかどうか。
風の噂やら親の情報網を利用して漸く参加の最終決定を下したのは、二週間位前の事だった。




そこまで思い出した所で思考が一時停止する。
兎に角気分が悪い。此処迄酷い気分なのは久し振りではないか。

あくまでも自分の場合ではあるが、酒の飲み過ぎで調子が崩れる事はそう少ない事ではない。
飲んだものの量や種類、それに環境でも大分違っては来るものの、軽度なら妙にトイレが近くなる。腹痛を伴っている場合もあればそうではないのに他人に体調を心配される場合もある。兎に角水分を大量に摂取した結果だと思えば甘んじるしかないという程度にはトイレと友達になれる。
それより酷ければ頭痛に悩まされる。気のせいで済む時ならマシで脳が腫れ上がってるんじゃないかという位になると大体昨日の行いを後悔する羽目になる。ただし人生で脳が腫れ上がるような体験はした事がないので表現が正確かは分からない。

そして今の状態は最悪中の最悪レベルだ。
落ち込んだり、或いは身だしなみに敏感な女性が日常を送れなかった時、自分の存在に不快感を感じるらしいが真に自分が不愉快な瞬間というのはこういう状態の事を言うのだと思う。
泥酔していれば前日風呂に入っている訳もなく、昨日の汚れが継続した状態でそれは衣類も同じく。
お洒落な、つまりはリラックスには適さないガチガチの繊維に包まれた体はアルコール混じりの汗を放っていて体臭がどうのという騒ぎではない。ついでに本来寝る場所ではない所で寝ていた体は凝り固まっていて記憶にない所が痛みを覚える。
これはもう一刻も早くシャワーを浴びるべきだと理性の何処かが言うのだが、身動ぎした瞬間に世界の終わりはやって来るのだ。
世界が揺れる。いや、実際に揺れているのは自分なのだが自分の何がどう揺れているのか判別がつかない。目が悪いのか頭が悪いのか体が悪いのか、それとも本当に世界が揺れているのか。
目を瞑る、揺れている。頭を揺らさないようにする、それでもやっぱり揺れている。体はそもそも停止していたのだった。世界は流石に止められない。
乗り物酔いで三半器官がやられた時に似ているような気もするが、乗り物は一定のルールで動くものだ。船ですら波の揺らぎに従って揺れる。しかしこの酔いはあまりにもリベラルで容赦がない。
寝ていても座っていても汗が止まらないし、その汗は不健全で不快なものでしかない。ただでさえ不快なのにこれ以上どうして不快になれるんだ、勘弁してくれと思っても生理現象とは無情なものだ。

必死の思いで立ち上がり、どうにか刺激少なく動こうとする。すると自覚出来る程に覚束ない歩みになってしまう。
虚しさを噛み締めつつ相当の努力で以て目的地に辿り着きシャワーを出せば、少しだけ気分が良くなった気がした。




水音に釣られてつらつらと昨日の記憶が流れる。
集合時刻が午前とも午後とも夜間ともつかない中途半端なものである事へ無意味に不満を抱きつつ、新しいジャケットと靴、それに名刺を用意して当日を迎えた。
朝から気持ちが落ち着かず、つい早めに支度を始めてしまってかなり早い段階で出発準備が整ってしまった。
そのまま別の事に手を出せば、却って時間に追われる事になるのは分かっている。仕方なく、本当に渋々と集合時間よりも早く到着するだろう時間に出発した。傍から見れば、ウキウキはしゃいで同窓会に向かったとしか思えないだろう。

電車に揺られながら何となく忘れ物をした気分になったり、途中で行く気を失って今からでも欠席の連絡を入れてやろうかという気分になったりしながら結局は目的地に到着してしまった。
周囲に見覚えがありそうな人物は居なかった。と言うより、顔を知っている人間が今も同じ顔をしている訳ではない筈だから見覚えもクソもないのだ。同窓会をやろうと言い出した人物が名札を付けて目印でも出していなければ到底見つけようがない。
仕方なく、時間潰しに喫茶店を探す。適当に座っていられれば何処でもいい。喉も乾いた気がする。
そう思って辺りに目を彷徨わせていたら、突然後ろから肩を叩かれた。
こちらは全くと言っていい程覚えがない――というかそもそも自分は人の顔を覚えるのが苦手であった――痩せた印象の強い男が自分を見てニコニコしていた。
「何だよ、早く来てたなら言ってくれればいいのに」
「ええっと……」
「俺だよ。分かんないかな?クラスで学級委員長だった・・…って言ってもお前とはそういう事で話した事ないか。ほら、クラスメイトの」
「うん?」
「無理だよ。K君大分印象変わってるもん……それにしたってビックリする位変わらないね、あなた」
肩を叩いた男の隣から出た顔を見て、二人が嘗ての同級生らしいと気付く。そうなれば何となく、面影も見つけられない事もない。
「もしかして……KとTちゃん?」
「そう、当たり!」
「もしかしてって……俺、そんなに変わったかなぁ?」
「変わってるよぉ。自覚ないの?」
「そりゃ、自分の顔だもん」
「あ、うーん……でも、私なんか自分が変わったなぁって思ってるけど」
「女子はそうだよ、ほら化粧とか服とかかなり変わるし」
「あー、それはそうか」
時の経過を感じさせないやり取りをする二人に、つい彼等の関係性を思い出そうとする。家が近かったか、進学先が同じだったか……しかし思い出せない。
幸い女性らしくTの方がこちらの機微を悟って説明をしてくれた。
「私達ね、就職説明会の時に再会して、それから連絡取り合ってたんだ」
「へぇ、そうなんだ」
「そうそう、あの時はビックリしたよなぁ。いや考えてみればあれだけ学生がいるんだし、年が一緒なんだから絶対に会わないなんて事はないんだけどさ」
「うーん。でもやっぱ距離が離れちゃった子とかも居たし珍しいって言えば珍しいよ」
「ああ、そう言えば留学した奴も居たとか」
「え、誰の事?」
「母親から聞いただけだからよく分かんないけど……昔仲良かった子って言われたからOじゃないか」
「あ、それ知ってる。でもあいつ海外行ってたのって一年とか位で、その後は戻って来てるんだろ?」
「そうなんだー。じゃあ今日来るの?」
「今日は何か忙しいって」
「えー、残念」
そんな話をしている内に一人一人と同窓の人間達がやって来て、どこかで時間潰しをする必要はなくなってしまった。




ぶわっと沸き上がった吐き気に色々なものが停止した。
貧血を起こした時の様な抗い難い嘔吐感にしゃがみかけたが、それはそれで事態を悪化させそうで中途半端な姿勢になってしまう。

いっそこういう時は吐いてしまった方が楽だ。それは理解している。
だが吐こうにも吐ける時と吐けない時が人間には存在する訳で、強制的に吐くには気力が足りない。
例え一時の事で済ませれば楽になると分かっていても、余計に気分が悪くなる事をしたくないのだ。
こういう所は感情が勝るのだから腹立たしい。気分が悪いという生理現象のままにジャアジャア飛び出て行けばいいだろうに。

介助してくれる人間でもいればいいのだが、居ない者は求めるだけ無駄だ。

全く、シャワーを浴びているのに汚れが取れた気がしない。ところで今日の予定は何だっただろうか。
呻く声は止まらないのに、頭の中の冷静な所が勝手に活動を始めた。割といつもそうである。脳味噌には酒に冒されないスペースがあるらしい。




始まった同窓会は感慨深くもあり、また少しだけ鬱陶しくもあった。

時間に現れた顔の中には思っていたより記憶が確かな者から、劇的な変化で全員から名前を尋ねられた者まで。
それ以外には予め遅刻の連絡をして来た者、途中で連絡をくれた者、何の連絡もなく姿を現さない者、そもそも会の知らせが届いているのか分からない者と色々である。
学校という同じ箱に入っていた状態と社会に解き放たれた状態とではこうも違うのか、と変な感心さえしてしまう。

初めこそ戸惑い、他人行儀に距離感を測っていたものの酒が入れば赤い顔が増え、とんでもない大笑いも度々と沸いた。
そして自分もまた気付けばかなり酒が入っていたらしく、騒ぎの波に乗っていた。

最初に会話をしたKと世間話をしていた筈が、隣にやって来た異性の無邪気な様子に鼻の下が伸びそうになった所で思い出にされている事に気付き慌てて我に返る。
ついで嘗て心を寄せていた子が結婚して子育てしているらしいと聞いて何故か落ち込む。
そんな事が他でもちょろちょろとあったらしくあちらで昔の嫌な思い出が掘り起こされたかと思えば、こちらで爆弾発言が飛び出たりもした。

更には普通とは違う道を歩いた一人の話に知らない世界を垣間見たり、今日姿を見せていないとある人物の現在に、ひそひそとした話が交わされ皆で深刻な顔をしたり。
そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ去った。


会計を済ませてダラダラと店を出れば、何となく別れを惜しむ所もあり二次会に行こうかという話も出る。
その頃には敬遠する気持ちも去ってしまい、また自分を誘ってくれる事の嬉しさもあって結局はそちらのチームに参加した。
男女混合で割合としては男の方がやはり多い。代わりにそこにまでついて来ている女子は酒好きか男の中に混ざる事を厭わないタイプばかりだった。

適当な店に入って席に座ると、幹事の実力なのかそれとも女性の気遣いなのか、いい塩梅の比率で着席する事になった。
二回目の乾杯はジョッキをかち割りそうな勢いだったが驚いたり咎めたりするものはなかった。
これでそこにいる人間がどれ位酔っ払っているか分かるだろう。自分もその仲間だったのだから始末に追えない。

そこからの記憶はあちこち途絶えがちである。
笑ったし楽しんだ。これは確かだと思う。
KがTの事を色々話していたのを聞きつつも、TがKの事を考えてるとは限らないという感想を持ったのも何となく覚えている。まさか本人には言ってないだろうが。
それに一人、誰かと妙に仲良くなった気もした。そしてそれがとても嬉しかった筈である。
あれは一体誰だったか。顔と名前が一致しているTやK、それに以前の友人で同窓会が始まってから会話をした面子ではなかったと思う。
他愛ない話をするばかりだったが、夢が実現したとかそんな眩しい話題もあったようだった。

そんな風で、更に杯を重ねる内に数名が酔い潰れてしまい、解散となった気がする。
千鳥足の集団が散り散りにタクシーや駅に向かう所から先はもう記憶というより意識がない。
潰れた中に自分は入っていなかったとは思うが、どうやって帰宅したのか考えると少し恐ろしい。


嘔吐感の波が去り、漸く立ち上がれるようになった。
このままシャワーを浴びていると一日ここから動けなくなりそうだ、と動ける内に居場所を変える事にする。
先程より少しは真っ当に歩けるようにはなったが、血が巡っただけ気分は低下する。

食事は取れる状態ではない。本当は無理にでも何か口にした方がいいのは分かっているのだが、これもまた気分の悪さが勝ってどうしようもない。
せめて水分だけはと冷蔵庫へペットボトルを探しに行った。
ついでに二日酔い用の薬を掴んでベッドに入る。昨日此処まで辿り着けていなかったお陰でシーツや布団に不快感がないのは有難いような、間抜けなような何とも言えない気分だ。
嫌がる喉や胃袋を宥めつつやっとこ水と薬を飲み込み、とうとうそこで力尽きた。




何度と溜息を吐いては覚悟を決めてゆっくり寝返りを打つ、それを繰り返す内に眠ってしまったらしい。
ふと気付いた時には二日酔いの症状がマシになっており、僅かな空腹感と喉の渇きを覚えていた。

部屋を見回せば、それなりに時間が経った事が分かる。昨日からカーテンは空きっ放しだ。
この時期にしては暗いと感じたが、どうやら今日の天気は曇りらしい。

置いていたペットボトルに口を付けると生温い水が流れ込んでくる。
いい加減何かしら活動をしようという気になって、立ち上がったが今度は苦労もなくふらつきもせずに歩く事が出来た。時間の経過もそうだが薬とは偉大なものだ。
空腹感のままに再び冷蔵庫を開いたが、酒や水分、あとは消化が悪そうな物ばかりしか入っていない。
調理に時間を掛けるのは億劫だったので近くのスーパーに行く事にした。

玄関の扉を開けると昨日履いていた靴を其処で発見したが、深く考えるのは止めて拾う。
そして今度こそと外に出れば、素晴らしいタイミングで雨が降り出した。体調が回復しても生活のサイクルは中々回復しないものらしい。
外出を諦めるか少し悩んだものの、一日を無駄にしている感があまりに強かったので傘を持って出る事にする。

いつも傘を置いている場所に手を伸ばした。
知らない傘を掴んでいた。
これもまた昨日の酒の仕業なのだろうか。珍しい、虹色の傘だった。
他人から奪って来てしまったのか、それはとても気まずい事だ。

思わずマジマジとその傘を見ている内に、所々残っていた泥酔してない時の記憶が戻ってきた。
そして――――。




ニヤニヤしながら出来あいのうどんを買うのはさぞ不審だっただろう。
しかしこれもまた昨日の酒のせいにしてしまおう。

思い出は然程悪いものではない。

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