領主が治める土地。
貴族が治める大きな街。
領主が治める土地の上にありながら、貴族が治める大きな街の中にありながら、ひっそりと汚物に塗れる貧困の区画。
貧困区からも僅かに離れた牢獄。

貧困区の広場に建てられた絞首台。




そのどれもから離れた丘の上に無数の墓があった。
まるで忘れられた様な墓から、更に離れた所には空虚な土地があった。
其処にもまた多くの骨が埋まっているというのに、誰もが知らぬ振りをして見ようとしない。


そんな場所に男が一人、花を握り締め佇んでいる。
その表情からは何も推し量る事が出来ない。
ただ、この時勢で花に興味を持つ人間は限られており、男がその種の人間では無い事からも彼の目的は知れた。


「またか」
「…………」

男を追う様に、丘を上がって来たのも男であった。
この辺りでは一番と言える程に美しい顔の男は、普段の馬鹿馬鹿しい衣装を纏わず彼本来の男らしさを日の下に晒している。
それに声を掛けられ振り返った男は、普段のニヤニヤした顔を張り付けながらもそれでも何処か陰気であった。

「感傷を抱くな。それは無意味だ」
「そう言われてもどうにもならないからこその感傷でしょうに」

美しい男は下手物扱いに甘んじている、そんな人物と認識されている。
陰気な男は看守として堕落している、そんな人物と認識されている。

しかしその実態は、本当に一部の人間しか知らない。

「殺したのはお前では無い」
「そう。人が死んだのは悪政が故」
「男に死ねと言った訳でも無い」
「そう。死に臨んだのは彼が本心」
「ただ、みじめに死なせたのはお前の責任だ」
「そう。そうさせたのは自分」
「我々は、其処迄の事を望んでは居ない」
「知っているとも」
「ならば何故?」

問答を受けながら、男は街を眺めた。
その丘からは街の全てを見下ろす事が出来た。それはこの街が出来た頃から変わらない。



嘗てこの街を興した者が居た。
この土地に生まれ、同じ人生を歩む者達と共に生きていた。
土地が国と呼ばれるようになり、領主という者達が土地に派遣された時、彼等の人生は変わった。
突然の変化は苦痛を齎す事も当然あった。
しかし与えられた苦痛は与えられた時に返し、相殺した。
恨みは末代迄覚えていようが発作的に攻撃する事の無意味さを彼等は知っていた。

彼等には貴族も領主も関係が無い。
何故なら彼等とそれ等は同じ場所にある生き物では無かったからである。
彼等を曲げた嘗ての国と領主すら他人であった。
それを冠に仕立ててその元に下る人間達が貧困に喘ぐのも無知が広まるのも全てが余所の出来事で、彼等は彼等だけの纏まりの中で生き方を学び育てていた。

とは言え、彼等も血の通う人間である。
幼子が死ぬ姿にどうして心を痛めないで居られよう。
碌な食事も与えられず子供を殺してしまった親にどうして同情せずに居られよう。
震える手に手を差し伸べる事をどうして厭う事があろう。

善良な者により優れた存在を知らせたいという衝動は誰の心にでも湧くものである。
様々な想いが練り込まれる中、彼等は嘗て変わった人生を元に戻そうとし始めた。

そしてアーサマゥとイィサンもその一族の生まれであった。
更には上位の者を助ける立場の家系でもあった。


「正義は、容易いものでは、無い」

普段の煩がれる程の姿を忘れてしまった様にイィサンがぎこちなく口を開く。

「今回の彼は、志という剣を死によって研磨した。けれども最後の最後に命を選んでしまった。そして剣は完成しなかった」
「嘗ての彼は、憎しみを熱源として動力を得ていた。憎しみを失って動きを止めた。そして死んだ」
「その前の彼女は愛に生き、打算で死んだ。その前の彼も、彼女も、少年も老人も、皆何かに寄って始まり何かに寄って終った」
「でもそれでは駄目だ」

「ああ、確かに。しかしお前の目は厳し過ぎる」

「何を厳しいと言う事が?正義が、多くの命と道が掛かっているというのに簡単に折れてしまう者にどうして未来を預けられる?元々そういう道を選ぼうとしていた者達が一人や二人犠牲になってどうして非難される事がある?殺したのは政治だ、政治を選んだのは民だ、抗うのは己だ」
「そう、その通り。そしてお前はいつも見ているだけだ」

「そう。見ているだけ。そして時に唆すだけさ」

イィサンは墓石の無い其処に花を投げた。とさりと地面に落ち、花が花弁を散らす。

「彼が遺した文はそれなりに使えそうだと言う話だ」
「死に様と名前も語ればきっと役に立つでしょうよ」
「あと数年か、もうそれ程長くはかかるまい」
「その頃には俺達の命も消えているんだろうねぇ」
「それが本望だからな」
「死んだらどれだけの恨みを聞かされるのか」
「それすら本望だろう」
「我々には呪われる義務があるってね」


日が陰り、そして夜が来る。
その内にまた正義を志す者が現れる。

今はただ、暗闇の中。

inserted by FC2 system