『死に至る経緯とその後』


 花が咲いていた。草が生えていた。風が吹いた。空は青く、砂は白く、土は黒かった。
当たり前の日常である。

私は無邪気な学生であった。
精神的に鬱屈した部分を持ちながらも比較的頭は悪くない方であった筈で、何よりも本が好きであった。
本を読んでいると時間が幾らあっても足りない位であった。何故この世に此れ程面白い娯楽があるのだろうかと思える程に、本を読んだ。

友達と遊ぶ事は多く無かったが丁度他の友達も本を読み出す年頃であったから、その本を話題にして会話をするのは楽しかった。
動く事自体は嫌いでは無かったが、何せ足が遅かったし鈍重であった。外で遊ぶと言ったら掛け回る事が主であったのでその中に混じって対等である事は実に難しかった。
勉学は嫌いでは無かったが、教師に好き嫌いはあった。
私は本ばかり読む子供であったから、理屈をきちんと通せない大人は意味不明にしか思えなかったのである。


 その日、私はたまたま誘われて友達との遊びに興じていた。外には出ず、教室前の廊下でふざけ合っていた。
すると突然、階段の防火シャッターが閉まり出したのである。その頃には防犯システムか何かに異常が発生していたのか防火シャッターが閉まり出すという様な事が何度か起きていたので、正直に言えばまたか、といった気持ちで私達はそれを眺めていた。
防火シャッターが閉まる時は大体大きな音が立ったし閉まるのも実にゆっくりであるから、たまたま其処を通っていた子供に突然危険が及ぶ様な事も無かった。
以前読んだ本の中に扉に挟まれる恐い話があった事や本能的な部分から私は其れに近付きたいと思う気持ちは無かったが、ふざけてシャッターに近付くクラスメイトや慌ててその下を通り教室へ行こうとする者も当然の如く居た。
例えシャッターが閉まったとしても、臨時扉が近くにはある。確かに重たい扉ではあるが子供の手にしたって開かないものでは無い。

馬鹿な事をしているな、そんな呆れた気持ちでシャッターを見上げていると突然、異様な服装をした大人達が現れたのである。


 彼等が着ている服は所謂消防服と思われるものであった。火災等何処でも起きていないと言うのに、何故彼等はその様な格好で此処に、しかもサイレンの音一つさせずにやって来たのだろう。
呆然と成り行きを見守っていると、シャッターで分けて階段側に居た私や友達を彼等は次々に「救助」した。
何の怪我も無い、ただの誤作動でシャッターが閉まっているだけだというのに私達は学校から連れ去られた。



 他の連れ去られた者がどうなったのかは分からない。
兎も角私は病院らしき場所へ連れて行かれた。病院らしき場所と言ってもまるで無菌室的な雰囲気は無く、何処かガヤガヤとした気配が彼方此方に存在していた。
嵌められた硝子は密閉空間の息苦しさを減らす意図や灯り取りの意味というよりは見物人を呼び寄せる目的がある様に思われて仕方が無かった。
私はそのまま寝台の様な物に乗せられ、上からは白衣を着用し眼鏡をかけた医者の様な者達に代わる代わる顔を覗き込まれた。
何がある訳でも無い、ただ顔を覗かれただけの様に思われた。しかし上から注ぐ白熱灯が眩しく、彼等が何をしているのかはっきりと把握する事は出来なかった。

「嗚呼、此れはいけない」
「此れでは駄目だ」

ボソボソと聞こえて来る言葉の意味すら理解出来ず、ただ不安に上を見上げるばかりだった私に突然、鋭い痛みが訪れた。
抵抗せずには居られない、本能が動く事を要求するその刺激に思わず私は顔を体に向けた。すると白い姿の彼等は針や刃物を向けていたのである。
私は悲鳴を上げかけ、それでも一度は飲み込んだ。

「何、何」
「駄目ですよ、動いては」
「分かりますが、我慢をして下さい」

耐えろと言われて必死に動きを止めようとするが、理性と本能はばらばらになってしまっていた。
柔らかい部分を突かれ、皮が弾ける寸前の緊張感に背は仰け反る。ちくちくとした刺激が頭皮をぞわつかせる。
何処か分からないが一部には奇妙な開放感があり、其処は切られてしまっていたのかも知れない。
何が起こっているのか理解が出来ない。
此れがもし何か必要な手術であると言うのならせめて麻酔等でもしてくれれば良いのに、この現代の平和に於いて問答無用に切り刻まれるというのはどういう理不尽なのであろう。
何時間経ったかも知れない、或いは何分の事でも無かったのかも知れない。私はとうとう耐え切れず、手足をばたつかせて全てを拒否した。

「痛い、痛い、痛い!」
「仕方が無いんですよ、どうしても我慢して下さい」
「無理だ!」
「それでは私達にも如何もする事が出来ないでは無いですか」
「そんな事を言われたって無理なものは無理なんだ」

そんなやり取りを続けて、とうとう白い人々は諦めたようであった。私はほっと息を吐いた。そうして気を失った。


 目覚めると私は未だ、寝台の上に寝かされていた。
一体あの出来事は何であったのか、考えても理解が出来なかった。
行為的に想像をして、もしかしたらシャッターの所で怪我をしていないかの確認をした所、何か重大な病気を見付けられたのかも知れない。それで慌てて病院に担ぎ込まれたのかも知れない。
それにしても麻酔が無いというのはどういう事だろう、まさか特別な事情で切らしていた所に、私は余程緊急性のある病気を持ち込んでしまったのだろうか。
その様な解釈で心を慰めていたが、ふと其処がとても静かである事に気が付いた。
先程迄は不誠実な程にガヤガヤとしていてとても病院とは信じられなかったのだが、今はとても静かである。人の気配が一つとして存在していないのでは無いか、其れ程の静寂であった。
兎も角此れ以上何も無いのであれば帰りたい、心の底からそう思った私はそっと寝台から起きようとした。
しかし何故か、体を動かす事は叶わなかった。感覚は無いが体を見る事が出来なかった点等も含めて手足は下で縛られているのでは無いか、とその様な気がした。
諦めて横たわったままになっていると、先程の医者らしき人々が遠くの方で再び何か話し合っているのが聞こえて来た。

「我々も、出来る限りの努力はしたのです」
「しかし何分、抵抗をされるもので…」
「実に残念です」

誰と話しているのか、私にしてみれば酷く軽薄な言葉の数々に腹が立った。
説明も無しに連れ去り麻酔も無いまま切り刻もうとして何が努力か。
私は子供であったから難しい話は分からないだろう、それでもきちんと分かるように説明されれば従う努力をしただろうし、此処に麻酔が無いなら麻酔を借りるとかそういう手だってあっただろう。
そもそも私の意志等底には存在しなかったでは無いか。苦痛を感じれば逃げるのは生理的な反応であるのだから本当に必要ならその時縛り付けでもすれば良かったのだ。
そう言ってやりたかったが、所詮医者の言葉に子供が勝てる訳が無い。さっさと此処を出て、私の話を理解してくれる人間に訴えた方が気分も紛れる。
不貞腐れた気分で私は解放を待つ。するとそれから暫くして、医者らしき人々が私の元へとやって来た。
やっと動ける筈である。しかし彼等は何故か私をそのまま寝台に乗せて運び出した。

また今度は一体何をする気なのか…不安に感じるが彼等は無言で私を運ぶばかりである。
彼等と私が乗った寝台の進む先には見知った顔が幾つか存在していた。どの顔も、憐れなものを見る様な目で私を覗き込んでいった。彼等は時に何かを呟いたが、私には聞き取る事が出来なかった。
その内、私が最も親しいと思う人間がやって来て私の顔を見つめた。彼女は私を見て、酷く辛そうな表情をした後に

「何故、死んでしまったの」

と確かにそう言った。


 彼女に言われて初めて気付いたが、確かに私の視線は常に可笑しい事になっていた。
私の体は寝ている筈であるのに、私の進む先に居る人が理解出来たし医者の顔は見えない。この病院らしき場所の天井ばかりで無く、壁から床迄が無意味に白い事を何故か把握している。
それなのにどういう訳か私は私の体を見る事は出来なかった。
白い医者達により白い建物を移動させられる内に、明らかな人工物である観葉植物や一連で繋がれたクリーム色のソファ等が目に入る。それがやがて見慣れた景色になり見知った顔が増え、私の体を見ては哀れむ人が増えた。

そんな様子が分かるからこそ、私は私の死を理解した。
理解した一方で、私の体は死んだのかも知れないが、それを知覚し周りを観察するこの私は一体何なのだろうかと疑問に思った。
一般的に言うなら魂とか、そういったものであるのだろう。しかし魂だと言うには私はあまりにもはっきりとした意識を持ち過ぎている。
普通、生き物の死は肉体の死を指して死んだと言う。外部からの刺激に一切反応しないのだからそれは正しい認識ではある。幼く認識が甘いながらに私も死とはそういうものだと考えていた。
実際に死んだ私は私の体をどうにかする事は出来ない。視線を向ける事すら出来ないようであるので、絶対的に不可能な事であると言っても良い。
では、それを感じ考えている仮称魂の私は死んでいないのか。否、魂が体を離れた時点でそれは死だ。では死んだ魂らしき、物を考える私は何だ。
私を見る人々は全て、私の横たわる体だけを見ていた。つまり此処でこうしている私は居ないものとされているのだ。


 進む私の体は何処かに辿り着いた様で、漸く動きを止めた。考え、周りを見る事しか出来ない私には酷く詰まらない道のりであった。
いつの間にか白い医者達は姿を消していた。見覚えのある人々ばかりが私に近付いた。流石に混乱をしていたらしく、死というものに捕らわれ過ぎていた私は其処でふと嫌な気持ちになった。
何があるでも無い、ただ周りには知る人ばかりしか居らず、その人々が口々に哀れみ感情豊かな者が時折涙を零して見せる。寝かされた私の体には誰一人触らないというのに近付いて来る。

 嗚呼、これは葬式だ。
己の葬式を見下すのは最低の景色であった。私は此処に居るのに、何故勝手に別れを告げてしまうのか。
誰も彼も身勝手だ、私は此処に居るのに誰も私を知りはしない。
そうだ、元々私に対してそういう態度を取る者は居た。もしかしてその者が居るからいけないのでは無いのか。
私は此処に居るし、もしその体が死んでいるのだとしてもそれを無くしてしまったら私は一体どうしたら良いのか。
今までに誰も死ぬ話等してくれなかったし死んだ後のこうしている状態が正しいのか間違っているのかも分からないし、この私がどうすれば良いのか誰も教えてはくれない。
そもそもあの白い医者共は何だったのだ、結局私は彼等に殺されたのでは無いのか。
私に死ぬべき覚えがこれっぽっちも無いと言うのに、彼等が連れ去って酷い目に合わせて、そのせいで今はこうしている。
或いはあの状態を我慢し続けていれば死ななかったのだろうか、いいやあれでは誰でも助かりはしないだろう。


 体が不安で強張る中、どうしてこんなにも切羽詰まった気分になるのか分からず辺りをそわそわと見回した私の目は一つのものに引きつけられた。
それは実物としては私の記憶に無い物で知識の中に辛うじて存在する物であった。
何故か、私はそれがとても恐ろしく感じられた。



 やがて私は、火葬されるのだ。

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